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2020-09-10 | 大東市、四條畷市の戸建て、マンション、土地を買うなら、売るなら「ラリ-ケーホーム」(ハウスドゥ!大東野崎店)へ!! 大東市、四條畷市に特化した地域密着のお店です。 【大東市】 赤井、曙、明美の里町、泉町、栄和町、扇町、大野、学園町、川中新町、北楠の里町、北新町、御供田、御領、幸町、三箇、三洋町、新田旭町、新田北町、新田堺町、新田中町、新田西町、新田東本町、新田本町、新町、末広町、住道、大東町、太子田、大字龍間、谷川、津の辺町、寺川、大字寺川、中垣内、大字中垣内、中楠の里町、南郷町、錦町、西楠の里町、野崎、大字野崎、灰塚、浜町、氷野、平野屋、平野屋新町、深野、深野北、深野南町、北条、大字北条、朋来、三住町、緑が丘、南楠の里町、南新田、南津の辺町、諸福 『大東市の紹介』 1956年(昭和31年)4月1日、南郷村、住道町、四条町が合併して大東市が発足しました。 大阪府下22番目の市。 当時の人口は約3万人(現在は約12万人) 高度経済成長期によって住宅、工場、事業所の進出が著しく増大し、急速に人口が増加し、それとともに都市化が進みました。 1975年(昭和50年)には人口は約11万人にまで膨れ上がりました。 農地比率が高く、地盤も弱いこの地域は高い行政需要を生み出し、対応の難しさが様々な都市問題を引き起こす原因となったとの事です。 こうした中で1972年(昭和47年)と1975年(昭和50年)には集中豪雨による河川の氾濫により未曾有の水害に襲われ多くの市民が被害にあいました。 1972年(昭和47年)寝屋川の堤防が洪水で決壊し、市域が水没する事態に陥りました。 その後、この大災害を教訓に、水道事業の推進、河川や水路の改修を最重点に道路、公園、教育、福祉施設等に力を入れ「住道駅」「野崎駅」「四条畷駅」の三拠点を中心に官民一体となって積極的なまちづくりを行っています。 1986年(昭和61年)に市制施行30周年を記念して大東市立総合文化センター(サーティホール)が建てられました。 2011年(平成23年)、市制施行55年を記念してマスコットキャラクターゆるキャラ「ダイトン」が制作されました。 【大東市の木】さんごじゅ スイカズラ科の常緑高木で、3~10メートルの高さになります。 秋には赤い実をつけるたいへん美しい木で、実が赤く熟し、珊瑚のように見えることからさんごじゅと名付けられています。 この木は水分を多く含んでいるため、生け垣などに防火樹としてよく植えられ、名実ともにまちを美しく飾り、また守る木として愛されています。 【大東市の花】菊(きく) 菊はご存知の方も多いですよね。 「古今和歌集」や「源氏物語」などに登場し、以後春の梅、桜と並んで秋の花の代表として広く親しまれています。 中国から薬草として日本に渡来したのが、後に観賞用となったもので、市内各地域でも気品と芳香を誇る菊作りが行われています。 『深北緑地』 深北緑地は、大東市深野北と寝屋川市河北中町にまたがって所在する、大阪府営の多目的遊水地として整備された公園です。 緑地内は冠水頻度により、堤に区切られた3つのゾーンに分かれています。 『野崎観音』 野崎観音は、福聚山 慈眼寺(ふくじゅさん じげんじ)といい禅宗のお寺です。 1300年ほど前、天平勝宝年間(749〜757年)に大仏開眼のため来朝した婆羅門僧正が「野崎の地は釈迦が初めて仏法を説いた鹿野苑(ハラナ)によく似ている」と行基様に申されました。 感動された行基様は、観音様のお姿(十一面観音)を彫みこの地に安置されたのがこのお寺のはじまりです。 幾多の戦乱のため荒れはて、1565年(永禄8年)三好・松永の兵によって全焼し、本尊の観音様だけが残りました。 長い間、小さいお堂のままでおまつりしてありましたが、元和2年(1616年)青厳和尚がこのお寺を復興され、元禄宝永ごろにのざきまいりが盛んになると共に、お寺も栄え、現在に到っています。 「のざきまいり」で知られ、昔から大阪庶民に「のざきの観音さん」と親しまれるお寺です。 例年5月1日~8日に開催されております。 屋台が立ち並び、多くの人が参拝に訪れます。 本尊の十一面観音は行基作と伝えられ、縁結び、安産、子授けのご利益があるといわれています。 境内みはらし台からは、大阪平野が一望できます! 自然に恵まれたハイキングコースもあります。 他にも「千日まいり」があったり「お寺でジャズコンサート」があったりと、定期的にイベントを行っております。 『歴史とスポーツふれあいセンター』 歴史とスポーツふれあいセンターは旧四条小学校を活用して設けられた、歴史民俗資料館、四条体育館、四条グラウンド、ふれあいルームからなる総合施設です。 大東の歴史、文化財の学びや情報の発信拠点、また、大東の歴史を愛する皆さんの憩いの場として、地域の方々に利用されています。 【四條畷市】 江瀬美町、大字逢阪、岡山、大字岡山、岡山東、大字上田原、雁屋北町、雁屋西町、雁屋南町、北出町、大字清瀧、清滝新町、清滝中町、米崎町、さつきヶ丘、蔀屋新町、蔀屋本町、大字下田原、砂、田原台、塚脇町、中野、大字中野、中野新町、中野本町、楠公、西中野二丁通町、美田町、南野、大字南野、緑風台 『四條畷市の紹介』 1895年には浪速鉄道が四条畷駅まで延伸し、人の集まる繁華な町へと一躍発展しました。北河内地区に中学が開設されるにあたっては、忠君愛国教育の中心である四條畷神社があり、鉄道駅もあって交通の便利なこの地に四条畷中学(現在の大阪府立四條畷高等学校)が開校し、北河内の教育の中心となりました。 1889年の町村制施行の際に甲可村となりましたが、次第に四條畷の名の方が通りがよくなり、1932年に甲可村は四條畷村へと改名しました。 1955年頃から大阪市の近郊都市として四條畷地区を中心として開発が進み、大阪外環状線の開通・JR片町線が四条畷駅まで複線化され、都市化が進みました。 1970年(昭和45年)7月1日、北河内郡四條畷町が市制施行して四條畷市となりました。 大阪府下32番目の市。 市制施行当時の人口は約3万6千人でした(現在は約5万5千人) 1985年(昭和60年)には四條畷市立歴史民俗資料館が建てられました。 1990年(平成2年)四條畷市立野外活動センターが開園しました。 1995年(平成7年)には四條畷市立市民総合体育館(サン・アリーナ25)が開所しました。 ちなみに『四条畷』と『四條畷』ってややこしいと思ったことないですか? 市の固有名詞としては、四條畷村以来一貫して『四條畷』と表記するのが正式らしいです。「条」は「條」の略字ですが、戦後「条」が当用漢字(現・常用漢字)に指定されたため、「四条畷」と表記されることがあるらしいです。 現在でも新聞や道路標識などでは「四条畷市」と書かれることがあり、2003年度末までは四條畷市内の郵便局は「四条畷」表記だったとの事です。 四条畷駅は「条」の字を使ってますよね。1895年に北河内郡四条村に開業した当初は、四条畷駅および所在地の四条村(のち町制を施行して四条町)ともに、「條」の字を使っていましたが、四条町は1956年の町村合併によって大東市となり廃止されましたが、当時の国鉄が当用漢字の使用を推進していたこともあって、「条」の字を使うようになったらしいです。 四條畷市はJR西日本に駅名の変更を申し入れているが、JR西日本側が「駅名変更は地元からの要望で行うが費用は自治体の全額負担」としており、費用は数億円かかるため市側での負担が困難な状態なことから、現在も駅名の変更はされていないそうです。 一方、四条畷駅と同様に大東市に所在する四條畷警察署は「條」の字を使っている。 ※ちなみに、四条畷駅と四條畷警察はどちらも所在地は大東市です・・・・ややこしいですね。 【四條畷市の木】クスノキ 暖地に野生するほか、古くから神社などに植えられています。 樹高は普通20mくらいになりますが、ときに40mを超える大木もあるらしいです。 枝葉はよく繁り、病虫害が少なく、生育しやすくて長命です。 四條畷市で楠(クスノキ)と言う文字は多く見られますよね。 【四條畷市の花】皐月(サツキ) サツキはツツジ科ツツジ属に分類される植物で、山奥の岩肌などに自生しております。 山登りやハイキングをしてるとよく見かけますよね。 サツキツツジ(皐月躑躅)、映山紅(えいさんこう)などとも呼ばれており、他のツツジに比べ1ヶ月程度遅い5~6月頃、つまり旧暦の5月 (皐月) の頃に一斉に咲き揃うところからその名が付いたと言われています。 『四條畷神社』 南北朝時代、四条畷の合戦で足利軍との戦いに敗れた楠木正行(まさつら)とその一族の将士24人を祀る神社です。 明治23年(1890)に建立されました。 正行は、大楠公と称される父、楠木正成の嫡男で、「小楠公」として、いまも多くの人に慕われる「忠公両道」の名将です。 境内には桜や楓が多くあります。 毎年、正行の命日に当たる2月22日の例祭、4月5日の春祭、10月5日の秋祭が行われております。 大阪を代表する7社寺(大阪天満宮・住吉大社・四條畷神社・大念佛寺・太融寺・今宮戎神社・四天王寺)のうちの1社で、7社を巡拝することで、それぞれの社寺でご利益が授けられ、7つの幸せを招くとされています。 四條畷神社は「心願成就」のご利益を頂ける神社として選定されています。 『四條畷市立歴史民俗資料館』 歴史民俗資料館というと専門的な説明だけの場所と思われる人も多いと思いますが、ここでは、子どもたちが楽しくて分かりやすいように工夫をこらしてあります。 例えば特別企画の「ものしり博士」ですが、この催しはクイズに答えて正解すると、「ものしり博士」の会員証とプレゼントが貰えます。子どもたちが楽しみながら歴史に親しめるよう、色々と工夫されております。 プレゼントはデジタルカメラを使ったり、手描きで作られたオリジナルなイラストで、種類も多いため全部集める頃には会員証がスタンプでいっぱいになるようです。 また、ここでは展示にも色々な工夫がこらされていて、出土品がどのように使われていたのか、どのような暮らしだったのかが、一目でわかるようにイラストや紙粘土の模型で示されているので、「資料館は初めて」という人でも十分楽しめるスポットになってますね! 『むろいけ園地』 むろいけ園地は、生駒山中のスポーツ・宿泊・研修施設である「緑の文化園」に隣接し、落ち着いたたたずまいの室池を中心に、2つの散策道「ファミリートレイル」と「ネイチャートレイル」があります。 湿性植物の観察や野鳥の観察も楽しめます! |
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